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歴史
2018/11/02

550年以上の昔から、今に至るまで。「総本家駿河屋の歴史」

私ども総本家駿河屋は室町時代に始まり、先代から受け継がれてきた歴史と伝統とともに、皆さまに愛され支えられてまいりました。

今回ご紹介させて頂くのは、総本家駿河屋の歴史。
550年以上の昔から、今に至るまでをわかりやすくまとめてみました。

その時代に生まれた銘菓の歴史とともに、長年にわたって切磋琢磨しながら手を取り合ってきた「人」の想いを感じてみてください。

室町時代

1461年(寛正2年)

山城国伏見九郷の里、舟戸の庄(現在の京都市伏見区)に、初代・岡本善右衛門が「鶴屋」の屋号で饅頭処を開く。


本ノ字饅頭

紀州徳川藩主が京都への上洛の際の道中食として供されたこともあったとされています。和歌山の店舗でのみ購入可能。総本家駿河屋の原点となる和菓子です。



1589年(天正17年)

五代目・善右衛門が「紅羊羹」を作り豊臣秀吉に献上。秀吉が開いた大茶会で引き出物として配られ、諸大名の賞賛を受ける


太閤秀吉献上羊羹

豊臣秀吉公の茶会に引出物として献上されたと伝えられる400年前の味。熟練職人の手から生み出される昔ながらの手作り蒸羊羹です。

京都・伏見本舗にて土日のみ直接購入が可能。オンラインショップや他店舗でも予約をすれば、約1週間かけてお取り寄せできます。


江戸時代

1619年(元和5年)

五代目・善右衛門が紀州藩の藩祖・徳川頼宣に従って紀伊国和歌山に移る。


1658年(万治元年)

六代目・善右衛門が寒天を取り入れることで「煉羊羹」の製法が確立される。


古代伏見羊羹

五代目・善右衛門が考案した最初の製法を受け継いだ煉羊羹の「原点」。これが煉羊羹の始まりと言われています。行程は、今でもすべて当時のままの手作業。熟練の職人だけにしか作れないため、京都・伏見本舗のみで製造されています。



1685年(貞享2年)

徳川綱吉息女鶴姫の紀州徳川家降嫁により、同名を憚って屋号「鶴屋」を返上し、「駿河屋」の屋号を公より賜る。


和歌浦煎餅

万葉集にも詠われた和歌浦の名称が焼印された和歌山銘菓。卵をたっぷり使って、昔懐かしい味を今に引き継いでいます。



1811年(文化8年)~1851年(嘉永4年)?

紀伊国の社寺・旧跡・名勝などの由緒や来歴を地域別に紹介した地誌「紀伊国名所図会」に総本家駿河屋が描かれる。


明治

1876年(明治9年)

第一回パリ万国博覧会に伏見店から「煉羊羹」を出品して受賞。


 極上本煉羊羹

六代目・善右衛門が、当時発見されて間もなかった「寒天」を取り入れることで製法を確立。保存性が高く、味わいの面でも進化を重ねた「煉羊羹」となっています。


昭和

1961年(昭和36年)

食べ切りサイズの水羊羹を発売

50年以上の歴史のある夏の代表銘菓。発売当初は缶入りでしたが、今はかつての風情はそのままに、プラスチック容器入りになっています。※写真は現在のパッケージ。



缶入りプリン発売

上の水羊羹と同時期に、缶入りプリンも発売されました。写真は当時のパッケージ。まるでブリキのおもちゃのようなカラフルなデザインの缶でした。今はパッケージも大きく変わっていますが、味わいは当時のまま。昔ながらの素朴な風味が人気の定番商品です。


平成

2008年(平成20年)

総本家に残っていた江戸時代の木型を使った梅型の落雁を発売開始。



2015年(平成27年)

ラジオ番組の企画から「生あじがさ」が商品化。

生あじがさ

ラジオのリスナーの声から生まれた「生あじがさ」は、刻んだ煉羊羹と生クリームと混ぜ合わせて、どら焼きに挟んだもの。今やすっかり定番となった人気の和洋折衷スイーツです。



2018年(平成30年)

和歌山市小倉に新工場が完成。「本社工場小倉店」オープン。